教育による刷り込みがもたらす不幸|学校教育の4つの弊害

日本の就学率は初頭教育がほぼ100%、中等教育が99%と、非常に教育環境が整備されています。
これは先進国の中でも高い水準であり、恵まれた環境です。

因みに初等教育の就学率は世界1位らしいよ

もちろん恵まれた環境ではありますが、そのカリキュラムによって大きな問題を抱える可能性があるとぼくは考えています。
具体的には以下の4つです。

①プロセス重視
②ロジカルシンキング
③協調性
④バランス信仰

このページでは、これらの教育のどこに問題があるのかそれぞれ詳しく解説します。
心理学や脳科学、行動科学の知見だけでなく、ぼくの持論も含まれますので、その点はご了承ください。

1 結果よりプロセスを重視する

学校教育では折に触れてプロセスの重要性が強調されます。
「努力することが重要だ」とか「頑張った60点は手を抜いて取った80点より価値がある」とか。
こういったことを6~7歳と非常に幼い時期から刷り込まれるので、多くの子供は「過程が大事」という認識を持ちます。
しかし大人になればなるほどプロセスより結果が重視されるようになっていくのが現実です。

テスト順位、受験の合否、就職、昇進とどんどん結果がものを言うようになるからね

このギャップが多くの人を苦しめることになり、同時に日本の低い生産性の原因になっていると考えられます。
もちろん結果が全てというわけではありません。
結果だけを重視することは、目的達成のためには手段を択ばないという極端な思考に繋がるリスクを孕んでいるからです。
またあるタスクで結果に結びつかなかったとしても、そのプロセスで経験したことが別のタスクで役立ったりアイデアに繋がったりする可能性もあります。

とは言えやはり過去の失敗や事前の準備なしに闇雲に努力することを続けても、期待できる実りはやはり多くありません。
100努力したうちで結果に結びつくのが20とか30しかないなら非常にコスパの悪い時間の使い方になってしまいます。
学校で教えるべきは「努力が美徳だ」ということでも「結果が全てだ」ということでもありません。
真に教えるべきは「結果を出すために必要な正しい努力を考えて実践せよ」ということです。

2 ロジカルシンキング偏重

ロジカルシンキング、論理的思考は学習のみならず、ビジネスにおいても基礎的なスキルです。
「AならばB、BならばC。よってAならばC」のような三段論法に代表されるように、考え方や答えに辿り着くためのプロセスが明確になります。
自分の考えの道筋が明瞭になるだけでなく、相手に伝える時もその意図が伝わりやすくなるので、説得・交渉やプレゼンシーンでも主流です。

ロジカルシンキングは基本的に1つの答えを導く思考法であり、学校教育での扱う学習と親和性が高いので、義務教育課程を修了した日本人なら自然とこの考え方を身に着けています。
しかしこの思考法にばかり偏重してしまうせいで、これしか考え方が身に着かないという点が教育の第2の問題点です。

ロジカルシンキングは考え方の基礎でしかなく、世の中にはこれ以外にも様々な思考法があります。
代表的なのが批判的思考(クリティカルシンキング)や水平思考(ラテラルシンキング)などです。

世の中の多くの問題にはテストのような明確な答えはありません。どれもそれなりに確からしく見える選択肢が沢山転がっています。
そのためロジカルシンキング一本で立ち向かおうとすれば、「どれが正解だ??」と悩み続けることになり、結果としてどれも選択することが出来ません。

また最近のエビデンス・科学的根拠重視の傾向もこのロジカルシンキング偏重の弊害と言えます。
「ただ1つの正解がある」と思い込んでるせいで、「エビデンスが確立された方法だけを知ればいい」と思ってしまうのです。
これは博識どころか単なる思考停止でしかありません。
「○○説と△△説。結局どっちが正しいの?」的な発言を見ると、親鳥が持ってくるエサをただ口を開けて待ってるだけの雛鳥に見えます。
「世間はお前らの母親じゃない」という最高の名言がありますが、恐らく多くの人にとって耳が痛い言葉でしょう。

カイジに出てくる利根川さんって良いこと言ってるよね

そもそもエビデンスというのはザックリ言えば100人中65人ではこういう結果でしたといったもので、万人に通じることを保証するモノじゃありません
ビジネス、人間関係、資産運用、人生。何事もたった1つの正解はなく、自分にとってのベストを自分の責任で選ぶ必要があります。
エビデンスに正解を求めるのは思考停止であり、かつ決断の責任を負いたくないという無責任な思考の表れでもあると心得ましょう。
エビデンス偏重の問題点についてはこちらのページでも詳しく解説しています。

3 協調性のダークサイド

学校に通う意義については色々な意見がありますが、社会性を学ぶというのも1つだとぼくは考えています。
ただ勉強をするだけなら1人で家でもできますし、意識の高さや価値観を同じくする生徒が集まる予備校の方が効率的だからです。
人と協調したりコミュニケーションをとったりなど、一人っ子などが多い現代において特に学校は重要な環境だと思います。

ただこの協調性が最近は行き過ぎてるんじゃないかとも思っています。
運動会の徒競走で「手を繋いでみんな一緒にゴール」的なのが典型です。
無意識な競争意識が高すぎて精神を消耗してる人が多い現代において、競争を忘れさせることにも意義があるのかもしれません。

しかし協調性や「和を以て貴しとなす」の精神が行き過ぎると「出る杭は打たれる」になってしまいます
周りと違うことをする人は「変わってる」「おかしい」などと強く糾弾されることがあるのもこの現れと言えるでしょう。
そして目立たないよう人と同じことしかしない人に成功者はいません。
「普通」という感覚は全体の80%前後の人々が共有してるものとされており、世の中の大多数が成功者にはなれてないことからも分かります。

社会性を学ぶことに意義があると言いましたが、それは周りに合わせて上手く泳ぐ方法を知るという意味で、ではありません。
「みんなと同じことをしてても平凡な結果しか生まないんだな」と世の真理を学ぶという意味です。
もちろん庶民感覚を持つことで大多数に受け容れられるサービス・製品を開発し成功してる人もいるので、異質性だけが成功の要因とは言いません。

問題は「普通」を追求するがあまり、成功するどころか失敗に近付くということです。
最たるものがお金の失敗で、このことについて詳しくはこちらのページで解説しています。

4 バランス信仰の非効率

学校教育では実に様々な教科を学びますが、この幅広さがバランス信仰という問題に繋がっています。

4-1 苦手克服は時間のムダ

何でもそれなりに出来るでもどれもあまり出来ないでもなく、ある一点だけがずば抜けてできる生徒というのがいます。
10段階評価では足りず、20を付けたいくらいの生徒です。
しかしこういう生徒に対しては「○○もすごいけど、苦手な教科も頑張ろう」と指導することが多いと思います。

しかし何となく素晴らしいことに思えるこの苦手克服というのは実に非効率なモノです。
苦手なモノはかけた労力に対して伸びが芳しくありません。
その一方で得意伸張の場合は努力のコスパが非常に高いと言います。
つまり同じ時間をかけるなら苦手な科目を克服するより、得意な科目を伸ばすのに充てる方が圧倒的に効率的です。
それなのに苦手克服を優先させてしまうのはバランス信仰という邪教を心酔してるからに他なりません。

また苦手克服はコスパが悪いだけでなく、せっかくの特性を失わせるデメリットまであります。
得意伸張に充てられていたはずの時間を苦手克服に侵されてしまうせいで、得意まで伸びなくなってしまうからです。
バランス信仰は特定の部分だけが鋭くとがったウニのような才能を、何の特徴もないただの球体にしてしまいかねません。

4-2 そもそも全教科できたらバランス良いの?

また自分の能力や価値を過小評価してしまう可能性がある点でも問題です。
皆さんの中にテストの成績のせいで「自分は記憶力が悪い」という思い込みをしてる人はいないでしょうか?
社会や理科などいわゆる暗記科目は記憶力を試されていると考えてる人も多く、それらの成績が悪い=記憶力が悪いという思考です。

しかし、もしあなたが社会や理科が好きじゃなかったなら記憶できないのは普通であり、記憶力の良し悪しの問題ではありません。
脳は自分が興味があると思ってるポジティブな情報でないと記憶しない性質があります。
だから好きでもない勉強を頑張って暗記しようとしても、脳がそれを受け付けないから記憶できないのは当然のことです。

こんな些細なことをキッカケに自分の能力に絶望してしまうのは、その後の長い人生において多大なる足枷になります。
そもそも全ての科目が出来たからと言って、知識や能力のバランスが取れていることの証明にはなりません。
教育カリキュラムが実社会で必要とされる能力を網羅できてるとは到底言えないからです。
むしろごく一部でしかありません。そんな狭い範囲で自分の実力を過大・過少に見積もってしまうわけです。

本当に全教科のバランスを取る重要性を説きたいなら、交渉力やマネジメント力、共感力などもしっかり評価すべきでしょう。
勉強が苦手な子の言う「社会に出て何の役に立つんだ」という主張が一周回って芯を食ってる気がしますね。

5 環境を恨むのはムダ

これらのデメリット・問題点を見てきたことで「文科省ふざけんな」とか「こんな教育を受けてきたんだから仕方ない」と思う人もいるかもしれません。
しかしそうした思考に陥ることは生産性が無いので注意しましょう。

これはいわゆる他責思考というやつです。
自分の現状や境遇の原因を他人や社会、教育や過去の経験に求めても解決には一向に繋がりません。
何故ならこれらは全て自力で変えることが出来ないからです。
これらの変えられない事実が原因と考えるということは、自分の現状も変えられないことを受け容れることになります。
これでは状況がよくなるはずがありません。

世の中はあなただけを見てくれるわけではありませんし、文句を言ってもあなたのために何かを変えてくれることはまずないです。
それをやってくれるのはあなたのお母さんだけです。
誰かの問題より、自分でどうにか出来る問題点にフォーカスする方が圧倒的に生産的です。

利根川再降臨

今頃知ったところで何が出来るんだ…

こう思う人も多いでしょうが、これはせっかく改善の糸口を掴んだのに、それを自ら必死に手放そうとしてる状態です。
「今日が人生で一番若い日」とよく言います。これは、何をするより今日より早く出来る日はないということです。
変わらない過去より、これを知った今日から何ができるかに目を向けるようにしましょう。

まとめ

学校教育によるデメリットについて解説しました。
物事には何でも一長一短あり、プロセス重視にもロジカルシンキングにも協調性にもバランスにも良い点と悪い点があります。
全員が悪い部分の煽りを受けているから教育を変えるべきと言いたいわけじゃありません。
良い部分の影響を強く受けてる人もいれば、悪い部分の影響を強く受けてる人もいるという話です。

そして「自分の今の問題のルーツが過去にある」という事実を知ることに意味があるわけでもありません。
無意識に刷り込まれてしまっている価値観や考え方が自分の今の現状を作る原因になっていないかを考える。
そしてその問題をどうやったら対処・解消できるか、これから何ができるかということを考えるキッカケにしてもらえればと思います。
てなとこで。