「時は金なり」じゃない?|時給思考のメリット・デメリット【時給=○○の価値】
「時は金なり」は、かの有名なベンジャミン・フランクリンの言葉と言われています。
目に見えない時間も金(ゴールド)と同じくらい大事なものだということを端的に表現した格言です。
しかし時給ワークが一般的になった現代では、時間とお金を交換可能なものとしてイコールで結んで考えてる人も多いんじゃないでしょうか?
人間は単位が小さくなるほど実感が沸きやすくなるという心理特性があります。
月給や年収でいくらって言われるより、日給いくらとか時給いくらとかの方が大きさを認識しやすいってことです。
そのため月給ワーカーになっても時給で換算したくなるのも自然な思考と言えます。
確かに身近で便利な指標ですが、時にこれは問題もあるのです。
このページではそうした「時間=お金」、いわゆる時給思考の弊害について解説します。
1 時給思考の問題点
時給思考やお金を意識した場合には様々な弊害が起こります。
これについては心理学や行動科学などの領域で様々な研究が行われ、検証されているので紹介していきます。
1-1 娯楽を楽しめなくなる
時給思考になると「楽しいけどお金にならない活動」、すなわち娯楽に楽しみを見出しにくくなります。
自分の収入を時給換算させられてから音楽を聴かされた人は、何もしなかった人に比べ音楽に対する評価が低くなりました。
「この時間で本当だったらいくら稼げたな」という思考、すなわち機会損失の側面がクローズアップされてしまうのです。
その結果、お金の発生しない活動を純粋に楽しむことが出来なくなってしまいます。
例えば映画鑑賞に行く場合、1本で1~2時間くらい拘束されて2000円近くの出費です。
時給1,000円の人は2,000円を稼ぎ損ねた上に2,000円の出費、その落差は4,000円にもなります。
こういうことを考えてたら流石に純粋に目の前の娯楽を楽しむのは難しいですよね。
日頃から自分の時給を意識してる人は、直前に考えることをしなくても無意識にもちらついてしまいます。
1-2 人との交流が減る
お金や給料について事前に意識させられた(プライミング)人は、その日人と一緒に過ごすことに時間を充てにくいことが実験で確認されています。
人と過ごすことはお金がかかるし時間も取られてしまうという認識になりやすいからです。
これは先程の映画館の例にも通じます。
お金とは自分が考えている以上に強く人間の意識を引きつけるものだということが分かっています。
なので時給思考に陥ってしまうと、お金を稼ぐことが時間を使う最優先の項目になってしまうのです。
結果的に人との交流を軽視するようになります。
孤独なお金持ちが多いこともこのことが関係していそうです。
孤独でお金を浪費しなかったから資産家になれたのか。
はたまたお金のプライミングによって徐々に人を避けるようになったのか。
これはニワトリ卵の関係で個人差も当然ありますが、一定の関係があることは確かです。
2 月給ワーカーも時給思考には注意
正社員になって月給制になったからと言って時給思考と無関係になったとは言い切れません。
今は月給ワーカーだったとしても多くの人は学生時代に時給で働いたことがあるでしょう。
その思考は本業の収入が月給制になってもなかなか抜けません。
既に触れたとおり、金額や期間の単位が小さい方が実感を持って考えやすいので、つい時給に換算して高いか低いかを判断しようとしやすいのです。
ぼくもややグレーな職場にいた時は、月の給料の上限が決まっていたので「業務時間を減らして時給単価を上げよう」などと思っていました。
残業代が決まった額までしか支給されなかったのね
ここにとどまるならまだ生産性の向上ということでいいかもしれません。
しかしこの思考がプライベートまで侵食するのは最悪のパターンで、かつ思ってる以上に頻繁にあることです。
本来は仕事の合間の癒しになるはずの娯楽を心から楽しめないとなれば、閉塞感で息苦しく感じてしまうでしょう。
3 月給ワーカーが時給を意識するムダ
月給ワーカーが時給を意識するのはハッキリ言ってムダなことです。
その理由は最初に紹介したような問題点があるからだけじゃありません。
そもそも副業を禁止する会社も多いので、追加で時間を使って自由に稼ぐことができない人がほとんどだってこと。
よく「10円安いニンジンを買うために10分離れた遠くのスーパーまで買いに行くのは不合理」と言われます。
確かに往復20分かかるので時給に換算すると30円という破格の安さです。
しかしその20分で余計に稼ぐことが出来たかと言えば、多くの人は出来ません。
もちろんその時間を読書や資格試験の勉強に充てることで間接的に稼ぎを増やすことが出来るかもしれませんが、不確実です。
そして月給ワーカーが唯一自由に稼ぎを変動させられる残業に時間を割くようになるリスクが高いことです。
趣味や日常の楽しみが全くない「アフターファイブ?それが何か?」的な人ならそれでもいいのかもしれません。
しかし趣味や楽しみがある人にとっては残業に時間を潰すのは非常につまらない生き方です。
しかも「残業してたらもっと稼げたのに」と思いながらじゃ大事な趣味の楽しさも薄れてしまいます。
なので月給ワーカーなら大人しく月給で生き、月額という大きな単位で扱うのに慣れた方が良さそうですね。
4 社会的な繋がりこそが重要
人間は社会的な動物と言われるとおり、人との繋がりが非常に重要です。
人との交流が一切ない状態で、お金だけあっても幸福を感じることはできません。
お金と幸福の関係については別のページで解説してますが、ある程度のところでお金の影響は頭打ちになります。
中にはお金を稼ぐこと、お金で得られるモノが幸福に結びついてる(と思ってる)人もいます。
これを物質主義と言い、主にお金持ちに多く見られる特徴です。
自分の得意分野(長所)を最大限に活かし、それで大抵のことは解決できると考えたいのは資産家に限らず自然な思考と言えます。
もしそこまでの境地に辿り着けるなら、主観的な幸福度の低下も少ないのかもしれません。
しかし彼らは単なる時給ワーカーではなく、活動するほどに富を生み出す能力があります。
つまりお金をより多く稼ぐなどコントロールすることで幸福度の増加を思い通りに出来る人なのです。
大抵の人は一財産築いた時、気付けば周りに誰もいなかったなんて状態に幸せは感じられないと思います。
目の前の小さな時給を意識したがために大事な人間関係を失うのは非常に不合理な交換ということなのでオススメしません。
5 時給を意識することにはメリットも
ここまでは時給思考の問題点・デメリットについて解説してきました。
この時点で時給思考で生きる意味はないと思ってるかもしれませんが、そうとも言い切れないのです。
ここからは時給思考で考えるメリットについて紹介します。
5-1 お金は人の命より重い?
前に読んだ本にで見たお金の定義が非常に印象的で非常に納得させられました。これもある種時給に関係する考え方です。
みなさんは「お金とは何か?」と問われたらどう答えますか?
経済学の勉強を少しでもかじったことのある人なら恐らく「交換の手段」と答えるでしょう。
物々交換を便利に行うために開発されたのが、共通の価値を持つ貨幣という発想でした。
経済学のテストなら正解ですが、国家が破綻したり貨幣制度のない未開の地では交換手段にはなり得ません。
つまり完璧な交換手段とは言えないってことです。
次に出てくるのが恐らく「価値の保存手段」という回答でしょう。
米や魚は永久に保存できないので、腐らないうちに消費するか交換するかしないといけません。
一方で貨幣なら腐らないので、必要な時まで使わずに保存しておくことが出来ます。
しかしこれも不正解。ハイパーインフレにでもなれば紙くず同然。完全に購買力を保存してはおけません。
では何か?それは自分の時間、すなわち残りの命の一部を差し出して得るものってことです。
つまり時給とは単なる1時間の労働の価値ではなく、1時間の労働と命の価値を合わせたものということ。
カ ◯ ジの利根◯もこれと全く同じことを言ってましたね。言い方は厳しいけど本質を突いた言葉だと思います。
ここで時給を考えるのは「より多く稼ぐ」ためではなく、むしろ「ムダに稼がない」という視点です。
寿命を差し出して稼いだお金が使い切れないとなれば単なるムダでは片付けられませんよね?
お金を稼ぐか、趣味に時間を使うか、休むか。時間を有効に使うために自分の命の価値を知るのは重要ということです。
5-2 お金と時間を交換するシーンでの判断
過去に嫌なことをお金で解決すること、つまり時間をお金で買うこと、ストレスのアウトソースについて解説しました。
時給は時間でお金を買う交換作業なので、これとは真逆の交換を行うということです。
命をお金に変えたとしても、その時間を再度お金で取り戻すことが出来るケースもあります。
この双方向の交換が起きるケースとしてイメージしやすいのは、残業で遅くなり、睡眠時間を確保するためにタクシーを使うかといったシーンです。
ここで自分の時給以上のお金を払うことになるなら、そもそもその分早く切り上げれば良かっただけですよね(※)。
こういうシーンで合理的に判断するためには、タクシーによって節約できる時間が自分の時給と比べて割りに合っているのかが分かる必要があります。
もちろん電車の混雑や乗換の手間がかからないなど快適さの恩恵もありますが、その疲れも残業によって引き起こされたものなら結局は…(※繰り返し)。
またこの関係は買い物における節約でもよく起こります。
数十円節約するためのスーパー行脚は意味があるかという話は既にしましたが、より稼ぐことではなく命の値段と考えるとやはり不合理かもしれません。
娯楽や趣味に使えたはずの20分って時間(命)を10円に変えたわけだからね
これをすべきかどうか是非の判断もまた時給を知らなければできないことです。
時間をお金で取り戻せると言いましたが、大抵は割高で自分の時給以上のお金が必要になることがほとんどです。
結局は稼ぐタイミングで時間をお金に換え過ぎない適切な判断を行っておくことが重要ってことになりますね。
5-3 実質時給で考える
精密に時給を算出しようとするなら実質時給を計算することをオススメします。
有給を差し引いて月給を勤務時間で割ればいいだけじゃないの?
このように考えるのが普通ですが、これだけでは不十分です。
仕事に関係する時間は勤務してる時間だけじゃありません。
最たるものが通勤時間ですが、その他にもスーツやネクタイを選んだり、髪のセットや化粧にかかる時間も「仕事だから」かけてる人も多いでしょう。
また見逃しちゃいけないのが、仕事にかかるコストの問題です。
仕事をしてなかったらかからなかったはずのお金を差し引く必要があります。
スーツやオフィスカジュアル用のアパレルといった仕事着の費用や残業中にコンビニで買う夜食代なんかも仕事のコストです。
スーツのクリーニングや靴磨きなどはお金もかかる上に時間も使うので、経済的・時間的と二重のコストです。
1日あるいは1週間のお金の動きや時間の使い方を見直してみると、けっこう仕事のためのコストが出てくると思います。
実質時給 =(月の給料 - 仕事のためのコスト)÷(実際に勤務した時間 + 仕事のための時間)
計算する前はだいたい2,000円から3,000円くらいだと思ってたのに、想像以上に安くて驚くはずです。
お金で時間を買い戻すのが大抵のケースで割高になると説明したのにはこういう理由もあります。
1時間の命を差し出して得られるお金が1,000円にも満たないと考えると、これまでの日常の買い物が非常に高く感じるはずです。
仕事をし続けるかという選択は元より、そうして稼いだお金でそれを買うのか?という判断にもシビアになれます。
消費はお金と時間という三大資産のうちの2つを差し出すものという認識の下で判断しましょう。
是非1度自分の実質時給を計算してみてください。
まとめ
時給思考によって起きる問題について解説しました。
「この時間の分働いてたら…」「1時間働いた分が…」 なんて思考は誰もが陥りがちなもの。
お金はこれを買ったらあれが買えないというトレードオフの関係が分かりやすく、使わなければ価値を(不完全ながら)保存しておけます。
一方で時間は使わなくても常に垂れ流されてしまい保存できない上に、トレードオフの関係が不明確です。
時間よりもお金を中心に思考してしまうのもまたやむを得ないことと言えます。
でもそのせいで人との交流が断たれるなんてのはそもそも日々生きてて楽しいのかって話です。
学生時代も時給1,000円程度のバイトを優先して、友達付き合いを減らす人はいました。
同じ1時間と言ってもその価値は生涯を通して一様ではないとぼくは考えています。
特に学生時代のように健康で好奇心も強く、どんなことでも出来て楽しめる時期の時間の価値は非常に高いと言えます。
そう考えると学生バイトは時給2,000円でも3,000円でも割に合わないかもしれません。
とんでもない時間の安売りだよ
若い時の時間の重要性や小金の貯金に必死になる意味の無さについて解説した内容は、この稼ぎの側面にも共通すると思います。
こちらも参考にしてください。
学生時代に限らず社会人になってからも、自分がやりたいこと、趣味や娯楽と天秤にかけた時、もしかしたら仕事の時給は安いかもしれません。
もちろん残業時間や就業日数など自分のお金の必要量に完全にフィットさせられるほど柔軟な働き方が出来る人は少ないでしょう。
また「時間=命」って考えは流石に大げさ・詭弁だと思う人もいるかもしれません。
しかし不要なお金を稼ぐことに夢中になったせいで失う可能性があるものは多いってことは是非押さえておいて欲しいです。
特に大事な人間関係を失くしかねないような判断は将来後悔する時が必ずくるとぼくは思います。
てなとこで。
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