熱しやすく冷めやすいことが強みになる|飽き性のメリットとは?

皆さん趣味とかスポーツ、勉強とか仕事ってずっと続けてるものですか?
それとも長続きしなくてコロコロ変わってしまう飽き性なタイプでしょうか?
ぼくは圧倒的に後者です。飽き性で趣味もスポーツも広く浅くで極め切るタイプじゃありません。
唯一ずっと続けてるのは筋トレくらい。かれこれ7~8年くらいでしょうか。

飽き性って言っても疑われそうだけど、永遠に完成しないから筋トレだけは続くんだよね

プロフェッショナルとして1つのことを極めてる人は凄いなー、と自分の飽き性に劣等感を覚えていたこともありました。
皆さんもそんな経験があるんじゃないでしょうか?
「継続=美徳」という考え方が一般的で、同じことを続けてる人が「ストイック」「根気強い」「努力家」などと称賛される傾向が強いですからね。

しかし捉え方によっては飽き性が武器になるんじゃないかって思い直し、今では強みだと考えています。
そんなとこで今回は、「飽き性も強みになる」という考え方についてのお話。持論満載ですが参考になれば幸いです。

飽き性になってしまう理由

ぼく自身の経験を基に、飽き性な人の原因や心理的な特徴について解説します。
あんま科学的じゃなくてごめんなさい。

昔から、初めてやることでも何となく要点を掴むのは得意で、50点くらいの水準にはすぐになれるタイプでした。
そこからは勉強したり、ちょっと試行錯誤したりしながらそれなりの期間取り組めば70~80点くらいまでは到達できます。
そしてこれくらいの水準に達すると徐々に飽きが来てしまうのです。

その第1の理由がここから先に伸ばすためにはかなりの時間と労力を要するということ。
人は僅かでも前進してることを感じれるとモチベーションになりますが、この水準から先は変化が微々たるもので、なかなか実感できません。
ダイエットで停滞期に入った人が次々に挫折してくのも、些細な前進も感じられずにモチベーションが萎えてしまうからです。

エンダウドプログレス効果ってやつね

また、さらに進歩するためにはかなり緻密で高度なことが要求されますが、本人はもちろん周囲でアドバイスする人にも見つけるのは難しくなります。
「いい感じじゃない?」などと言われると、「そうか、それなりのレベルになったんだな」「もうやることはないな」と思ってしまうのも飽きるきっかけです。
ぼくは基本的に褒められるより、厳しくされて伸びるタイプなんだと思います。

知らんがな

ある程度のレベルには達している。そしてそこからの進歩はコスパが悪い。
ここに至ると今度は「こればっかりに時間を使ってていいのか?」って気がしてきてしまいます。
つまり第2の理由は、時間効率の悪さです。
近頃は特に専門性うんぬん言われていますが、実際のところはマルチな人の方が強くないか?と個人的には思っているというのもあります。
同じことに時間を使い続けるより、打ち止めになったところで他のスキルを磨くのにシフトした方が伸びが良いという考えです。

満点志向はコスパが悪い

飽き性も強みになるのでは?という考え方の始まりはある競技の大会を見に行った時のことです。
日ごろから余暇時間のほとんどを練習に費やしてる人たちが凌ぎを削るのを見ながら、ふと思ったことがあります。
それが「これだけ努力してもトップって1人しかいない」ということです。

既に説明した通り80点より上の水準を目指すと微に入り細を穿つような調整が必要になります。
しかも点数の伸びもこれまでに比べると遅くて変化もかなりゆっくりなものです。
こうしたコストに対して、(結果に繋がる)成果を残せる確率は非常に低い。つまりコスパが非常に悪いと感じました。

もちろんトップにならなければ意味がないとは言い切れませんし、好きで競技などに打ち込んでる人は練習時間をコストと捉えてないと思います。
傍から見れば得られるものは享楽(優勝・合格など)だけです。
しかし選手の主観では、それまでの練習中にもやりがいといった成果を常に得ているわけで、1つのことに打ち込むことを否定することは出来ません。

あくまで飽き性を正当化したい人間の視点での、専業のデメリットです。

総合格闘家的な強さ

もう1つの飽き性を正当化する考え方がマルチという強みです。
飽き性は熱しやすく冷めやすい。つまり好奇心が強く多くのことに興味を持つことが出来ます。
スペシャリストが持つ能力の深さの代わりに、能力の幅の広さを身に付けられると考えるわけです。

それなりのレベルのものを沢山持つことができるから、100点1個の人に対して80点5個で計400点という総合力で見ると勝機があります。
格闘技に例えるなら空手一本極めた人と打撃も寝技も投げ技も経験した人が総合ルールで勝負するイメージです。
この場合、バリエーションに富んだ選手の方が有利になりやすいと考えられます。

寝技に持ち込めずに打撃1発で瞬殺されなければね

現実は分業が進んでるとは言え、スポーツのようにルールで手段(技能)が制限された環境であることの方が少ないはずです。
つまり総合格闘技どころかもはやストリートファイトの世界です。

医者や学者など何か1つのことに執心しているスペシャリストは致命的に生活力に欠けているというケース数多く見てきました。
身の回りの雑事や役所・税金の手続きなど一部は高給の職種ならアウトソースすることも出来ます。
しかし必ず自分でやらなければいけないこともあり、そういった点で憂き目を見るのは好ましくありません。
平凡に生きていく上では何か1つのことが出来るより、全てのことがそれなりに出来ることの方が重要です。
特に人に頼らずに1人で生きていきたいぼくのようなタイプには欠かせません。

冒頭でも触れた通り、世の中専門性がもてはやされるようになってきてはいます。
しかしこういうあまりに1つのことに特化し過ぎた人を見て尊敬し、憧れる人が少ないのも現実です。
どんなに宣伝が変わってもバランスを重視する人間の本質は変わらないってことです。
特に日本人はバランス信仰が強い傾向にあるので、こちらの方が受け入れやすいんじゃないでしょうか?

ならば総合力のある人間の方が実社会において強いのではないかと言えます。

マウンティング強者になる

「自分が満足していればそれでいい」と口では言っても、他者からの承認が得られないと自信が持てない人間がほとんどです。
結局、どんなに自分に言い聞かせても承認欲求から自由になるのは難しいと言えます。
そんな環境にあっても自分に自信を持つにはどうすればいいかと言えば、万人から承認される価値・能力を持つことです。

ではその万人から称賛される価値とは何か。お金を持つことでしょうか?美人やイケメンと結婚することでしょうか?
実は誰もが認める価値なんてないのです。価値観の多様化したこの時代において、単一の価値で承認欲求を満たすことは100%出来ません。
自分が得意な1つのことを極限まで極めたとしてもそれに関心がない人にとってみれば、何も称賛の対象がないも同然なのです。

だから空手で日本一になっても「格闘技(武道)=野蛮」って人とかスポーツに関心のない人からは全く羨望されません。

別に空手に恨みがあるわけじゃないよ

その点飽き性でスポーツも音楽も仕事も恋愛も、と幅広く熟していれば裾野が広がって承認される確率が高くなります。
さらに経験が幅広いってことそれ自体も価値になって、その点でも承認されやすくもなります。
すなわち「マルチな人」という価値を持つことになるということです。

まとめ

スペシャリストが求められる昨今の潮流に逆行する飽き性のメリットについて解説しました。
経験とか価値を多様にできるってことが一番のメリットで、様々な価値観の人から承認されることで自己肯定感を持ちやすくもなります。

断っておくと、単一のことを極めた人はそれはそれで自分にはできない素晴らしいことだと思うし、正直なとこ100点と50点2つが対等だとは思いません。
どちらが優れているかはシーン(ルール)によって大きく変わると思いますし、優れてると思う方に舵を切り直すのは合理的とは言えません。
専門特化してる人はその専門性を磨き上げることが効率的です。

一方で多くの何にも特化してこなかった人も、捉え方・見方を変えればポジティブに転換できるってこと。
「なりたい自分」というのは基本的にないものねだりの塊です。
0から1を生み出すのは、多大な労力と時間を要する非常にコスパの悪い作業になります。
何かに専門特化したいと思っていても根が飽き性なら向いていません。
苦手克服というのは労力の割に成果が伴わないことが多いので、得意を活かした戦い方を覚える方が圧倒的に合理的とは言えないでしょうか?

てなとこで。