自己満足でストレスフリーに|無意識な比較こそが苦しみの最大の原因
皆さんは「自己満足」という言葉にどんな印象を持ってるでしょうか?
現状維持的なニュアンスから向上心のなさ、上昇志向の欠如などの表れと捉えるかもしれません。
はたまた「自分を認める」という点ではある種のナルシシズム的な印象を持つ人もいるでしょう。
このように自己満足には何となく否定的なイメージがついて回っていると思います。
ぼく自身も進歩してる感覚がないと気持ちが悪い人種なので、現状維持にはネガティブな反応を示しがちです。
しかし自己満足というのも捉え方次第では精神衛生上とても優れた考え方じゃないかとも思い始めました。
そんなとこで今回は自己満足のススメといった感じのお話です。
1 比較から生まれる人間関係のストレス
人間関係のストレスには様々な原因があります。
嫌味な人、仕事が遅い人、暴言を吐く人、マナーを守れない人などその人の特性に基づくものが沢山あげられるでしょう。
人はこうした原因がはっきり可視化されてるもの、具体性のあるものの影響を過大に評価しがちです。
その一方で無意識なもの、可視化されてないものは看過されてしまいます。
そんな意識されにくい人間関係から生じるストレスの1つが他者との比較です。
たいていの人は「自分は他人と比較なんかしてない!」と反論したくなるんじゃないかと思います。
しかしほとんどが無意識に行われていることなので、本人に心当たりが無くて当然です。
では何故こんな比較が無意識に行われているかと言えば、それまで育ってきた環境に主な原因があります。
幼い頃から兄弟や親戚、友達と勉強、スポーツ、絵や音楽、礼儀、容姿など様々な尺度で比較されてきたはずです。
常に競争や順位付けに晒されていれば、それが物事の判断基準になるという価値観を内部に落とし込まない方が不思議と言えます。
しかしこの比較・競争が生むストレスは非常に大きなものです。
勝てば非常に大きな快感を得られますが、負けた時のダメージはその快感の大きさをも凌ぎます。
人間には利益以上に損失を過大に評価する性質があるからです。
プロスペクト理論って言うやつだよ
お金や昇進、家などの持ち物はどれも他人との比較によって立ち位置を明確にする性質がある地位財です。
これらは絶対的な勝者が1人しかいないため、ほとんどの人が負けを味わうことになります。
どうりで収入が増えても幸福にならないわけね
また世界は不平等でかつ不当なものですが、その不平等さや自分の不遇も他者との比較を行った時に実感するものです。
完全な平等など非現実的で不平等など当たり前のことですが、それを再認識してしまうこともまた非常に心理的なストレスになります。
2 比較できない分野での闘い
もちろん競争や比較が全く意味がないものというわけではありません。
とりあえずの判断基準として優劣をつける必要もありますし、モチベーションや向上心にも繋がります。
問題は競争や比較に馴染まない分野(非地位財の領域)でもそれに晒してしまい、いたずらにストレスを被っていることです。
勉強やスポーツにおいては点数の高さや速さなど客観的な尺度で結果を計測できるので、優劣には一定の根拠があります。
しかし容姿や芸術、性格の良し悪しなどは客観的な判断基準はなく、見る人によって結果がいくらでも変わるものです。
厳密に言えばスポーツや学業においても比較が完全とは言い切れません。
「ゴールを決めた選手とそれをアシストした選手のどちらが優秀か」なんてことは判別できませんし、テストでたまたま得意な問題だらけだったという可能性もあります。
しかしこうした曖昧で不完全な比較を人は絶対のものとして受け取り、自分の評価・価値として内在化させてしまうのです。
承認欲求に溺れた人が非常に大きなストレスを抱えてしまう原因もここにあります。
そもそも答えが1つじゃないモノはどれに照準を合わせればいいか分かんないしね
3 自己満足は採点者が1人だけ
承認欲求や比較・競争を重視する性質と対極にあるモノこそが自己満足と言えます。
他の言葉で言い換えるなら、最近はやりの自己肯定感や自己受容に近いものです。
これらの考え方が優れているポイントは採点者が自分1人であり、判断基準や正解が揺らがないという点にあります。
自分という採点者さえ満足させられればOKなので、目指すべき方向性が明確になるという点でストレスの緩和に効果的です。
さらに自分の価値観・自分軸に従って生きるということが実践しやすくなります。
「仕事もそこそこにそれなりの慎ましい生活ができればOK」と思っていても、出世してバリバリ働く同世代や、それを称賛する人を見ると揺らいでしまう人が多いです。
結婚や子供、家や車なども「みんな」に目を向けてしまうと、「持つべき」という誤解もしやすくなります。
しかし自分が満足ならそれでOKと割り切れれば、こうしたものにも惑わされることはありません。
こうすることで終わりなき地位財の軍拡競争や、そもそも比較しようのない非地位財での不毛な争いから脱出することが出来るでしょう。
自己満足の意義はよく分かったと。しかしどうすればその価値観を内在化できるのでしょうか?
4 どうすれば自己満足の境地に至れるか
ぼくは元々ナルシシズムはやや強く、自己満足に浸る傾向は強かったので、改めて方法を考えるとなると難しいものがあります。
服や髪型も「異性にモテる」「同性に褒められる」などは全く意識せず、鏡やショーウインドウに移った自分を見て気分がノるかが基準です(笑)。
大好きな筋トレも「女の人は別に筋肉好きじゃないよ」などと言われてもモチベーションは1ミリも下がりません。
自分がカッコいいと思う身体を目指すため、やってて楽しいと思うからやってるだけだからです。
「ちょっとぽっちゃりしてるくらいの方が男は好きだよ」と言われたダイエット中の女子が反発したくなる気持ちもよく分かります。
4-1 人と会わないこと
ちょっと脱線しましたが、自己満足とストレスの関係に気付いたきっかけは2020年ごろからの新型コロナウイルス感染症に伴う外出自粛でした。
外出自粛により人に会う機会やリフレッシュの機会が減ってストレスを溜め込む人もいたようです。
しかし一方で今まで抱えていたストレスを溜めずに済んだ人も同じくらいいたと思います。
町に出て幸せそうなカップルや容姿のいい人、オシャレな人、お金持ちそうな人などを見る機会が激減しました。
つまり比較対象にそもそも会わなくなったのです。
周囲の採点者がいなくなれば、自然と残った自分という採点者を頼りにすることになります。自己満足の出来上がりです。
これをヒントにするなら、人との接触頻度を減らすことが肝心ということになります。
人口密度が低く、比較・競争でギラついてない地方に移住するというのも1つかもしれません。
ちなみにぼくは自己満足やストレスとは無関係にFIREして地方移住することを真剣に検討してる最中です。
4-2 最大の問題児を処分する
もう1つ、気を付けるべき、というか断つべきものがSNSです。
いくら外出しなくてもSNSを開けば、比較対象が家の中になだれ込んできてしまいます。
しかも相手は目いっぱい加工して美化されたチートキャラです。
そんなのと自宅に引きこもって好きなことだけをしてる自分を対決させて有利なわけがありません。
コロナの自粛期間中こそSNSで大々的に充実アピールする人はいませんでしたが、収束を迎えた後、奴らは戻ってきます。
コロナ禍でそんなに更新されないSNSを見ててもつまらないので、見る機会が減った人も多いと思いますが、この勢いで完全にその習慣を無くしてしまいましょう。
そんなものを見なくてもいくらでも時間を潰す娯楽はありますし、潰すほどの時間がそもそもない人がほとんどです。
こんなチャンスは生きてる内に2度とないので、これを好機・ケガの功名と捉えて最大限に活かしましょう。
まとめ
自己満足の有効性について解説しました。
無意識な競争や比較により現代人は絶えず傷つきストレスを増やしていってると思います。
人と会わなくなったことで、より自分の好きなことを純粋に楽しめていることに気付き、これこそが幸福度を上げるヒントなのではないかと思ったわけです。
マイペース、ナルシシズム、頑固などの特徴を持っているからこそ、これまでも余計なストレスを感じていなかったんだなーとしみじみ実感しています。
そういう気質を持ってない人には難しいかもしれませんが、接触頻度を減らす工夫が1つの手段になるんじゃないでしょうか?
そしてもう1つヒントを出すとすれば「人は自分が思ってるほど自分に興味を持っていない」という事実です。
比較や競争、承認欲求に捕らわれている人というのは過度に人の目を気にするという特徴を持ってます。
このことを意識するだけで(少なくとも意識の上では)競争する気のない人を相手取ってムダな消耗をすることもなくなるはずです。
てなとこで。
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