不幸になる他責思考|常に原因は自分にある【自己コントロール感と幸福の関係】

他人を責める不幸な人

責任って重い言葉だよね

責任を負うと聞くとネガティブな印象を受ける人が多いことと思います。ぼくもです。
なるべく負担や責任といった重荷を背負わず、身軽にシンプルに生きたいと思っています。
しかし責任を回避し続ける生き方というのは気楽などころか、むしろ苦しいことの方が多いのです。
このページでは、責任回避・他責思考の問題点と正しい自責のあり方について解説します。

1 責任を避けたがる人たち

冒頭でも述べたとおり、責任というのは重く負担になります。
なるべく自分の責任になるのを避けようとした結果、他人を責めると同時に自分で判断しないようになるのです。

1-1 悪いのは全て他人?

自分のこの現状を説明するために他人の問題点やミスをあげつらうのは典型的な責任回避の方法です。
最近だと親ガチャとかが典型ですが、その他にも以下のようなものがあります。

・ジム通いや資格取得の勉強をしたくても、仕事が忙しくて時間がない。
・仕事が円滑に進まずトラブルや残業が増えるのは同僚や上司がバカで使えないからだ。
・話が通じないのは相手に理解力がないからだ
・貯金はしなきゃいけないけど、給料は安いのに税金も高い。子供の教育費やローンの返済でお金がかかるからそれどころではない。
・よくわからないけど生活が良くならないのは政治が悪いからだ。

よく聞くものをサラッと挙げただけでもこれだけ出てきます。
いかに世の中が他人や世間を責める思考をしてる人が多いかがよく分かりますね。
皆さんもいくつか心当たりがあるんじゃないでしょうか?

また責任を他人に押し付けることで自分が行動しない言い訳にしてるだけという人もいます。
行動の先延ばしの原理についてはこちらのページで解説してるので、参考にしてください。

1-2 自分で判断しない

他責思考というと前の項目で例示したようなパターンが分かりやすいです。
しかし積極的に他人を責めることだけが他責思考ではありません。
自分の考えで物事を判断しないというのもまた、消極的な形での他責思考と言えます。
分かりやすい例で言うと以下のような感じです。

・親に「安定が一番」と言われて大企業や公務員に就職
・ブログやYouTubeで紹介されていたオススメ商品や店の人気商品を買う
・グルメサイトのレビューを見て店を決める
・四年制大学に進学するのが一般的

この行動パターンを見て「どれも普通じゃない?」と思う人が多いと思います。
それは責任を回避したいと思ってる人が多いという証拠でしょう。
こうした行動を取っていれば、失敗したとしても「基準・評価に従っただけ」「自分が決めたんじゃない」って言い訳が出来るからです。

また最近はやりのエビデンスを重視する傾向も責任回避の1つと言えます。
勉強熱心にも思えますが、これも「研究ではこうだった」と判断の軸が自分じゃないと言い訳できるからです。

その基準を使うって決断したのは自分なんだけどね

2 他責思考に執着する問題点

なんか男の人ニヤニヤしてるように見えない?

責任を回避し、他人に押し付けていれば気楽に生きられそうな気がしますよね?
しかし実際には他責に陥るほどに楽になるどころか、どんどん苦しくなっていきます。
その理由は以下の3つです。

①生産性がない
②閉塞感
③踊らされ続ける

2-1 他責に生産性は皆無

まず第一にどんなに他人を責めても何も生まれません。
他人を責めても「全てコイツのせいだ」「自分は何も悪くない」という自己満足の中で可愛い自分の尊厳を守れるだけ。

最近はパワハラとかの関係で減ったかもしれませんが、仕事でミスをした部下を怒鳴り散らす上司がこの典型です。
誰の責任かを明確にし、怒りをぶつけたところでミスした事実は変わりません。

「ああいるいるこんな上司」と思った平社員のあなたも他人事ではありませんよ。
こういう上司の愚痴を飲み会やSNSに垂れ流したところで何も生み出しません。
それを耳にした上司が「自分に問題があったな」などと思い直してくれることはなく、むしろあなたが睨まれて不利な立場に追い込まれるリスクが増すだけです。

2-2 責任を放棄することで閉塞感を生む

そんな問題の責任を他人や世間に押し付けるということは、その解決を他人や世間に一任するということです。
自分に責任が無いということは、自分がやるべきこと・やれることは何一つないということだからです。

残念ながらどんなに怒鳴ろうが説得しようが他人は簡単には変わりません。
そしてあなたが「税金が高い」「政治が悪い」などといくら喚いても国が変わることもありません。

つまり今の自分を取り巻く問題や現状の責任を他人・世間に押し付けるということは、それらの問題を解決不能なものにしてしまいます
絶対に変わらないものが原因なのだから結果も絶対に変わらなというのは当たり前のことです。
結果として自分の人生は全くコントロールできないという閉塞感を生んでしまいます。

実はこの自己コントロール感っていうのは人生の満足度を左右する重大な要素だよ

やや極端な事例ですが、この思考に陥った典型的な問題パターンがトラウマです。

2-3 世間に踊らされ続ける

また責任を回避するために自分で判断することを避け続ける人は世間に踊らされ続けます。
世の中で「これが良い」と言われる度にその基準に素直に従ってしまうのだから当然です。

そして実際に世の中の多く人が「普通」という基準に踊らされています。
一見すると無難な選択に見えますが、これに従うことで満足感も得られずただただ多くのお金を失っていくだけです。
この「普通」という基準の問題点についてはこちらのページで解説してるので参考にしてください。

また現代人が信奉しがちな科学的根拠・エビデンスも考える参考にはなりますが、決して正解ではありません。
これを盲目的に信じていると足元をすくわれることになります。
エビデンスの裏にも色々と不都合な真実が隠されているからです。

3 適切な自責思考の方法とは?

一見すると気楽そうに思える他責思考ですが、人生の満足度が低下するという大きな問題があります。
しかし単に「自責思考で行こう!」と言っても多くの人が正しく実行できません。
やり方を間違えた自責思考は、それはそれでメンタルに問題を起こしてしまいます。

3-1 相手より自分のことに目を向ける

他責思考とは「自分は悪くない」「悪いのは全て他人(世間)だ」という自分ゼロ相手100という極端な考え方です。
しかし逆に何でもかんでも「全て自分が悪い」という単なるネガティブに落ちるだけの極端な自責にも同じくらい生産性がありません。

大事なのは、その問題に自分がどう関わっているのか、そして問題点にどう対応できるのかを考えること、この考え方が適切な自責思考です。
あらゆる問題には複数の要素が関係していて、完全に誰か1人に責任・問題があるということはほぼありません。
周囲にいた人それぞれに何かできることがあったはずです。

他責思考に陥る人というのは、他人の責任の部分をクローズアップしてしまう人です。
49:51のような僅差であっても相手の方を責めてしまいます。

むしろ70:30とかでも大声で威嚇して相手に責任転嫁する人とかもいるよね

薄々「自分に問題があったな…」と思ってても、誰かから「お前が悪いんだ!」と責められれば素直に聞く気にはなれません。
それどころか「お前のここにも問題があるだろ」と反撃したくなるでしょう。
そうすると他責のループが出来て、結局なにも解決しなくなってしまいます。

一方で適切な自責思考が出来る人はたとえ1:99であったとしても、相手の99ではなく自分の1をどうにかしようと考えます
自分の問題なら自力で解決・改善が可能だからです。
そしてチームのそれぞれが自分の問題点にフォーカスして解決策を考えれば、最終的に問題の全体が解決できます。

3-2 こんな時どう考える?

適切な自責思考の方法が分かったところで、実生活の様々なシーンにおいてどう考えるかを最後に紹介します。

①仕事が忙しくてダイエットが出来ない

どんなに仕事が忙しい、大変だと喚いたところで、あなたの健康や体型を気遣って上司や同僚があなたの仕事を減らしてくれることはありません。

・仕事の効率が悪くて残業してるだけではないか?
・スマホやテレビ、ゲームなど小さな時間のムダを積み重ねてはいないか?
・通勤時間を短縮するために会社の近くに引っ越せばいいのではないか?
・本当にブラックなら転職するという選択肢はないのか?
・太るのは運動できないからではなく、ジャンクやお菓子の無駄食いがあるからではないか?
などなど

また別のケースでも考えてみましょう。

②遊びの誘いが多くてお金が足りない、貯まらない

こちらも友達があなたの財布事情を察して遊びの誘いを調整してくれるなんてことはありません。
そのまま放置してしまえば、一生お金に困る生活を送ることになってしまいます。

・誘われてもたまに断るという選択肢はないのか?
・そもそも交際費以外にもコンビニや自販機を使ったり好きなモノを買って浪費してないか?
・支出が多いなら昇進や転職、資格取得で収入を増やすという努力はしないのか?

仕事のせいなどと短絡的な答えを出すのは簡単ですが、「自分の責任ではないか?」と考えてみると問題点が山のように出てくるはずです。
しかも「仕事が忙しい」などという身も蓋もない漠然としたものではなく、行動に繋がる具体性があります。
そしてこの解決策の具体性こそが自責思考になることの最大のメリットです。

4 自分で決断すれば後悔しない

自分で責任を負うということや、自分の判断で決断するというのは負担が大きいと感じる人が多いでしょう。
これまで自分で決断しない選択を続けてきて、そのクセが染みついてしまってる人なら尚更です。
しかも決断の結果として失敗したらショックで立ち直れなくなるんじゃないかという心配もあるかもしれません。
しかし、2つの理由から自分で責任を持って決断することにそこまで大きな不安を抱く必要はないと言えます。

1つは自責思考でいるべき理由として挙げた自己コントロール感の充足です。
多くの人は、どんな結果になるかということが重要だと思いがちですが、実際には「自分の自由な意志で決断した」という感覚の方が重要になります。

もう1つ人間には合理化という心理的な防御機能が備わっていることです。
これにより、自分の決定や現状を自分に都合が良いように捉え直すことが出来ます。
「自分に都合が良いように」などと言うと悪いことに聞こえますが、このお陰で自分の決断に対する後悔が薄れ、自責思考にシフトしていけるので非常に重要なことなのです。

これらの効果は実際に自分で責任を引き受け、自分で決断をしてみないと実感できません。
最初はかなり勇気が要りますが、その1歩さえ踏み出してしまえば段々と好循環が回り始めます
小さなことから自己責任で決断する習慣をつけていきましょう。

まとめ

他責思考によって陥る不幸と自責思考の生産性について解説しました。
他人のせいにしたり、自分で判断を行わないことで責任を回避するのは一見すると楽な選択に思えます。
確かにその瞬間は楽ですが、その後に待ってる代償は非常に大きいです。

他人・世間を責めたところでそれらは決して変わりません。
そして自分の現状が決して変わることがないもののせいなら、自分の人生が変わることも一生ないということです。
この自分の人生を自分の思うようにコントロールできないという感覚は人生全体の満足感を低下させ閉塞感を生みます。
そして他人の敷いた基準にそのまま従うことで、国や企業に都合がいい方向にドンドン誘導されていきます
もちろんレビューを見て決めた店や商品がいくら酷くても食べログやAmazonは謝罪も賠償もしてくれません。

責任を負う、自分の失敗や弱点を認めるということは痛みを伴いますが、自分で影響できる範囲にしか活路はありません。
自分事として自分の頭で考えて判断する。このことができるようになると徐々に人生の道が開けてくるように感じるはずです。

余談ですが、ぼくの好きな言葉に「大いなる力には大いなる責任が伴う」というものがあります。
このことを逆に捉えると「責任を持てる人間にしか大きな結果は待っていない」とも言えそうですね。
てなとこで。

因みにこれはスパイダーマンのベン叔父さんの言葉ね