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自分のことだけ考えて生きればいい

こういう言い方をすると自己中で冷たい感じがします。
逆に他人の気持ちを考えるとか他人のためにっていうのは、利他的な感じで耳障りが良いです。
でもそれが「本当に」できているか、また他人の目を気にして、他人に評価されるために生きるのが楽しいのかと聞かれれば即答でYESと言える人は少ないはず。
そんなとこで今回は、他者を気にして生きることの不合理についてのお話です。

相手の気持ちを考えるって超能力

「人の気も知らないで」とか「きっとこう考えてるはず」とか、他人の気持ちを推し量ることを期待され、それに応えようと頑張ってる人が多いと思います。
でも相手の考えてることが分かるって一種エスパーみたいなもんだと思うわけです。
人ができるのはせいぜい「自分がその人だったら…」っていう「同情」であって「共感」ではない。
だとすると分かってると思うのは傲慢な勘違いということ。

自己コントロール感の喪失

他人に評価される承認欲求をはじめとして現代人の多くが「他人の目」に支配されています。
だからSNSで充実ぶりをアピールをしたりマウンティング合戦に励むのでしょう。
ただ承認欲求って叶うことがない欲だといっても過言では無いです。
承認するかしないかは他人がその人の基準に照らして判断するわけで、こちらからコントロールできることではないからです。
アドラー心理学ではこれを「他者の課題」と呼びます。
他者の課題に属する事柄ばかり気にしていると、ごまんとある(人の数だけある)基準に振り回されることになって自分が定まらなくなるし、生き方そのものの成否を自分事としてコントロールできなくなります。
自己コントロール感の低下は神経症に繋がりやすく、幸福感の低下にも繋がります。

コントロールできることを人生の指標に

他人からどう見られるか、どうやったら他人から評価されるかっていう自分ではどうしようもないこと、答えが出ないことを考えたり悩んだりしても時間のムダ。
自分がどうしたいかということ、自分の中に自分が従うべき指針を作ることが重要です。
それが価値観というものです。
価値観については別の記事で扱っているけど、他人のところに行ってしまったこれを自分の中に引き戻すことがなかなか難しい。
アドラー心理学では、万人に通じる価値観は共同体への帰属で、それを達成する唯一の手段が他者への貢献だとしています。
共同体の構成員から「ここにいていいよ」っていう承認、他者課題にするんじゃなくて自分が貢献を通じて一員であること実感するということです。

他人の気持ちを考える努力は必要

他人の気持ちを正確に知ることは出来ないっていうのは事実だけど、推し量ろうとする努力はもちろん必要。
でないと自分がしたいように傍若無人に振る舞っていいみたいになってしまいますから。
「言ってくれなきゃわかんない」は怠慢ということです。
とはいえ発する側が相手に察してもらうことを期待するのも叶わぬ期待って言えます。
パートナーや家族となら、思ったことは言うという取り決めをした方がお互いにムダに悩む必要がなくなっていいでしょう。

まとめ

まずは自分のことを考えるという生き方についてでした。
元々筆者は比較的自己中だから受け入れやすいというか、自分のことを重視するちょうどいい言い訳が見つかったという感じだったけど、利他的に生きてきた人には受け入れがたいかもしれません。
でも相手のことを理解しようとしてるって実はほとんどが自己満足なんじゃないかって話で、むしろ他人のことまで分かるつもりになっているのは相当傲慢。
まずは自分の生活を成り立たせて、それでも余裕があって初めて他人に向けるという順番(そんな余裕がある人はいない)。
可能な限り自分事にして自分の人生を精一杯生きましょうってことです。
てなとこで。