【プロセスと結果】「一生懸命」は美徳なのか|頑張ることを称賛するおかしさ

皆さんは「楽して稼ぐ」ってことにどんな印象を持ちますか?

詐欺とか盗みとかじゃなければ、なるべく身を削らずに必要最低限の努力で稼ぐのがいい。個人的にはそう思います。

仕事が楽しいならもちろん結構なことだけど、「苦労して」「頑張って」やる必要はないとも思うのです。

でも世の中の大半の人の認識はそうじゃなさそうな印象を受けます。

そんなとこで今回は「頑張る」ことが美徳になるのか?ってお話です。

営業をしてる友人の話

営業をしてる友人はノルマの達成を楽々やってのけるだけで、それ以上は働かないとのこと。

休暇をとって旅行に行ったり、早上がりしてジムに行ったりと、自由な時間を過ごすようです。

勤務時間なんて縛りはなく、あるのは成果だけ。

課された仕事が完了さえすれば「何時間仕事をした」なんて関係ないって発想はすごい羨ましく思います。

でも上司とか同僚からは「何でできるのにもっと上を目指さない!」って風当たりが強いらしいです。

成果が上がればその分給料も上がるかもしれないけど、そこまで要らないなら上を目指すのは時間と体力を無駄にしてるようなものです。

因みにこの「不要なお金を稼がない」って発想の重要性については時給思考のページで紹介しました。

一生懸命に稼いだお金の方が嬉しい?

「頑張る」ことに美徳を見出す理由の1つに、お金から得られる喜びは獲得するまでにかけた労力に比例するって性質があります。

重要なのは稼いだ金額ではありません。

楽して稼ぐと満足度が下がりやすいから一生懸命稼ぐことにこそ意味があるってことです。

「生活保護はズルい」と叩かれるようになって久しいですが、楽してお金をもらうのは実はそんなに幸福感を感じないのです。

誤解のないように言うと必要な人が大半で、ズルは一部だけどね

そういう輩がSNSなどで「楽して儲けてる」アピールするのは、他人からの羨望や妬みで補わないとやってられないくらい心が満たされてないからと考えられます。

自慢に対して攻撃したり羨望したりするのは彼らの満足度のアップに手を貸すようなものです。

これでは思うつぼなので、そういう時は哀れみを込めて華麗にスルーしましょう。

似たような話でSNSでのリア充アピールについてもこちらのページで解説しています。

他人の満足度を心配する?

ちょっと脱線しましたが、稼働から得る満足度は努力を奨励する根拠にはなり得ません。

まずこれを認識した上で必死で働いてるって人がどれほどいるかってこと。

あくまで結果論であって意識的に頑張ってるって人はほとんどいないのではないでしょうか?

そしてもう1つ、同僚がお金から満足を得ているかどうかってそもそも気にしますか?って話です。

「もっと頑張ればもっと満足感を得られるぞ」ってアドバイスしてくる上司とか同僚とかって想像してみるとかなり奇妙なもの。

悲しいかな、他人のことを心の底から気遣える人はそこまで多くないのが実態です。

では努力を称賛するその心はといえば、シンプルに苦労してる自分と同じレベルまで相手を引きずり下ろしたい、に尽きるでしょう。

自分が必死になって働いてる中、涼しい顔して定時上がりしてる同僚を見たら何か心の奥底でわき上がる何かを感じるはず。

身近な言葉で端的に表せば妬み、それも悪性嫉妬と言われるタイプのもので、言ってしまえば単なる同調圧力の1つです。

かといってブラック企業の存在が認知されたこのご時世、面と向かって残業を強制するわけに1もいきません。

そこで「努力」という正論で自分たちと同じ次元に引きずり下ろそうと画策するわけです。

健全な嫉妬は「あいつより速く仕事を片付けてやる!」だよ。

学校教育に問題あり?

しかしそもそも努力が正論として機能するのは何故なのか?

その理由が学校教育にあると、教員をしてる友人と話してて感じました。

具体的には学校教育で昔から続いてる「プロセス」を重視する考え方です。

特に勉強をしないでとった70点と、努力してとった60点なら後者の方が素晴らしい

こういった指導は昔からで、相変わらずようです。

どんなにテスト前の努力に差があろうが、点数が高いほど成績も良いんだから70点の方がいいに決まってます。

厳しいこと言えばそもそも70点も60点も落第だけどね(笑)

70点の生徒には「勉強すればもっと高い点が採れるのに何故しない?」と指導することもしばしば。

それに対する答えはシンプル。自分にはそれ以上は必要ないからです。

部活とか習い事とか他に時間をかけて取り組みたいことがあるのでしょう。

何を優先するかは個人の自由な選択なので、ただダラダラしたい、だけでも理由としては十分です。

その点数でも親から怒られることもないなら、わざわざ時間を割いてまで余計に勉強する必要はありません。

しかし学齢期にここまで自分のスタンスを明確にして、かつ先生という大人に抗弁できる生徒はかなり稀でしょう。

もっと頑張るべきと指導されれば何となく腑に落ちなくても渋々受け入れていかざるを得なくなります。

こうして成長過程で「努力=美徳」と刷り込まれていくのです。罪深さも去ることながら、教育が与える影響の大きさにも驚きます。

この刷り込みが大人になっても無意識にあるから、この努力論で妬みを包み隠して「正当に」攻撃できるわけです。

同じ教育を受けてても自分の頭で考えて「あれって違ったかも」と気付ける人もいるので、一概に教育ばかりのせいにも出来ませんが。

インド人エンジニアの印象的なツイート

Twitterで見た、とあるインド人エンジニアのツイートがとても印象的でした。

この「努力こそ美徳」から派生した「楽してる奴は許さない」という日本人の思考が端的に表れていたからです。

簡単に言うと「日本の会社では速く仕事を終わらせても手が空いたと見るや次々に仕事を追加される」というものです。

これでは仕事を速く片付けるモチベーションは生まれません。速くやるほどやるべき仕事が増えるだけだからです。

そうなれば勤務時間いっぱいでピッタリ与えられた仕事を終わらせるよう、ダラダラ引き延ばそうという思考になっても仕方ありませんね。

これでは生産性は下がるばかり。そしてこの価値観を共有していない優秀な外国人は日本に来ようとは思いません。

結果的に国際競争力は下がって行かざるを得ないと言えます。

外資系や人材誘致のためには、税の優遇政策や外国語対応なんかよりも、この厄介な価値観の不毛さにぼくたち個々人が気付き改めることの方がよっぽど効果的なんじゃないでしょうか?

まとめ

楽して稼ぐことに反発する理由についてでした。

「頑張る」「一生懸命」が美徳、って思考が抜けないと、自分で自分の首を絞めることになりかねません。

自分だけなら自己責任ですが、「自分と同じ苦しみを味わえ」って押し付けが始まるのは相当迷惑な話です。

プロセス重視の教育の弊害だと思いますが、「それで育ったんだから仕方ない」じゃなく、気付いて脱却する方が自分にも周りにもプラスだと思います。

日本では忙しなく働き、遅くまで残業するのが賞賛される風潮がありますが、海外ではどちらも生産性の低さの象徴です。

結婚に限らず人との関わりは価値観の共有が不可欠。

ビジネスに関してこんな理解できない価値観を抱えてる集団の中で外国人が仕事をするのはさぞ大変なことでしょう。

こればかりは政治でトップダウン的にどうにかできることじゃありません。ぼくら個々人が自覚し、変えていくしかないのです。

てなとこで。