トラウマは言い訳|自分を閉じ込める不合理【自己憐憫】

あなたは何かトラウマ的な経験が過去にあるでしょうか?

トラウマほど大げさじゃないにしろ過去の経験に起因する何かちょっとした苦手意識とかなら少なからずあると思います。

もし「トラウマの影響で何かできない」とか「それがなかったら出来た」などと思っているならそれは一刻も早くやめましょう。

というのもその思考が原因で自分の将来の可能性を潰しているかもしれないからです。

カウンセリングと言えば過去の経験やそれに自分がどんな評価をしてるかを尋ねるのが王道なので意外に感じるかもしれません。

そんなとこで今回は、アドラー心理学的と行動科学の側面から見たトラウマの不合理性に関するお話です。

そもそもトラウマとは

そもそもトラウマはフロイト心理学の流れから生まれた考え方です。

過去から繋がる現在の自分の在り方は過去の経験の影響を受けているという発想に基づいています。

つまり過去の経験の蓄積によって今の自分は形作られているという考え方です。

このフロイトのトラウマ論は心理学でも主流な考え方で、人の思考の癖などといった現在の心理状態の原因を過去の経験に紐づけます

カウンセリングを受けなくても、誰しも無意識に過去の経験で今を語ろうとする傾向はあります。

小さい頃に痴漢に遭ったせいで男性恐怖症だ、とか親から暴力を振るわれて育ったから自分もDVをしてしまうとかです。

人間は原因不明のものや説明がつかない事態を嫌うので、既に経験したことに理由や手掛かりを探すのは自然なことでしょう。

そのためこのトラウマでの説明も違和感なく受け入れられやすいと考えられます。

アドラーのトラウマに対する評価

フロイトとは異なる系譜のアドラー心理学では、このフロイト的なトラウマ論を否定しています。

普通は過去の経験の蓄積で知見が広がって可能性とか関心が広がっていくものです。

しかし同じ過去の経験でもトラウマを強調していると(ネガティブな)経験が増えるほど狭い檻を作っていってしまいます。

現在の自分を、絶対に変えられない過去で説明するってことは現在も変えられないという閉塞感を生むだけです。

アドラーの考えでは現状のままで(男性恐怖症であろうと)ありたいと自分が思っていて、その正当化(言い訳)として過去の経験を引き合いに出しているということ。

そんな心理状態に留まろうとするのは、何かに挑戦しない、改善しないなど、何かをやらない理由にできるという本人的に何かしらのメリットがあるからです。

現在の自分の悩みが過去の経験で説明されると「そういうことだったのか!」と思う気持ちは分かります。

既に説明したとおり、人間は説明のつかない状態が嫌いで、何かしらの説明をつけることで安心できるからです。

しかし説明出来たからかといって何かが変わるわけじゃありません

むしろ「だからできなくても仕方ないんだ」と出来ないのは自分のせいじゃないと正当化するだけになってしまいます。

手足を縛られ拘束されてることでもない限り「できない」ことなんてほぼありません。せいぜい「しにくい」程度のことです。

自己憐憫に生産性はない

ぼく自身も重度のお喋りだから、何かあるんじゃないかと気になって心理学的な理由・ルーツを調べてみたことがあります。

一般的な説明だと「両親が不仲だった」か、「愛を向けられなかったから」って言われてるみたいです。

親の仲立ちをする伝書鳩的な役割をしてたからか、注目を集めようとしてたかららしいよ

心当たりがないわけじゃないので「なるほどなー」と納得はしましたが、それを知ったからといって特に何かが変わったわけじゃありません。

個人的には「家族仲は悪かったけどディズニーランドに行ったの楽しかったなー」などと、良かった部分にスポットを当てたくなります。

中には自己憐憫的な感傷に浸る人もいるかもしれませんが、あまり生産的じゃないですしね。

自己憐憫ってのは「自分って不幸だ!可哀想!」って考え方のことね

原因は追究したくなるものだし、それが何か分かると納得してスッキリするものです。

しかしどうせ考えるなら未来のことをどうするか、自分で切り開く道を見る方が生産的と言えるんじゃないでしょうか?

1つ教訓として覚えておいてもらいたいことがあります。

トラウマを抱えてる人は「何で自分だけ…」と思いがちですが、実際は誰しも少なからず不幸な経験をしてるものです。

何が違うかと言えばその経験を過大に見るか、大したことじゃないと考えているか、つまり捉え方の差にあります。

過去の辛い経験に注意を向ける傾向がある人ほどネガティブな感情を増幅しやすいことが行動科学の分野の研究で分かっています。

つまり過去の経験をトラウマだと認識するほど、それがより大きなトラウマになってくってことです。

よくある「トラウマに向き合いましょう」的なカウンセリングは完全に逆効果ということ。目を背けるのが正解です。

生産性がないばかりか自分をさらに苦しめることにしかならないとしたら注意を向ける価値は全くないと思います。

まとめ

過去のトラウマ経験を過大評価することによる弊害について解説しました。

人間は誰しも説明がつかず不確かさが残る状態には居心地の悪さを感じるものです。

過去のネガティブな記憶や経験が今の自分の原因なんだと説明出来れば一種の安心感を得られます。

マイナスなことなのに安心というと違和感を感じるかもしれませんが、これも行動科学の領域で検証されてることなのです。

病気の検査結果が良くなってると伝えられた患者と同程度に、悪くなってると伝えられた患者も心理状態が改善すると言います。

最も心理状態が悪いのは検査結果に変化がなかった患者です。

良い方向にしろ悪い方向にしろ進む方向が明確になることは心理に良い影響をもたらすってことで、トラウマによる現状の説明も同じことです。

心理的に安定に向かうのは良いかもしれませんが、同時に自分を変えないことを正当化する理由を与えることにもなります。

なにせ原因である過去は変えられないからね

人間関係を改善したり、前に踏み出したりせず精神的な適温状態に留まり続けたいというのも1つの考え方でしょう。

しかし薄々とは言え「自分を変えたい」「このままじゃダメだよな」と思ってる人にとってトラウマはマイナスでしかありません。

過去の経験や記憶をトラウマにしてしまうのは、それを過度に重視する自分自身だってことは押さえておきましょう。

てなとこで。

参考文献