OJTは非効率?単なる「車輪の再生産」【これから望まれる体制とは】

OJT (On the Job Training)って皆さんの会社でもやってますか?
ザックリ言うと仕事しながら必要な知識とか技術を身に付けていこうってことになります。
受け手側にあんまり趣旨が伝わってないからこんな感じの理解ですが、要は走りながら考える的なことなのでしょう。
教わるんじゃなくて自分で実際に仕事した経験から学べってことですね。でもこれめちゃくちゃ効率悪くないかって常々思っているわけです。
そんなとこで今回は、OJTとかノウハウの継承に物申す的なお話です。
これを読んで得るものと言えば会社に対する反抗的な精神、くらいですかね(笑)

同レベルの再生産止まり

20代で就職して60代の定年までいるとして長くても約40年くらいしかいません。
それも転職せずに、新卒で入社した会社で働き続けた場合です。
大体は同じレベルの人間(会社は学校教育に期待していないので)が毎年入ってきます。
皆が自分で見たことから学習するってなったら40年かけて到達するところは昔、そしてこれからも同じ水準になる可能性が高いです。

しかしそれでは組織は発展しません。
こういう既にあるノウハウを使わずに1から全部自分でやることを「車輪の再発明」って言います。
非効率を一言で上手く風刺した例えで、ぼくが好きな表現の1つです。
つまり毎年毎年タイヤだけを作り続けるだけで、永遠に列車全体の完成に辿り着くことはありません。

また業務改善などは、「何故そうやるの?」というシンプルな疑問が発露になることがほとんどです。
しかし時間をかけて徐々に知識をつけていくと、ある程度の水準に達した時には何もかもが普通。
慣習やシステムなど何に対しても、もはや全く疑問を持たなくなっています。

OJTは基礎科学の再確認

科学とか文明は先人の知識とか研究の蓄積からスタートして、さらに発展させていくものです。
みんながイチから基礎科学の正しさを確認するとこから始めてたら先には進みません。

常人の数十倍の効率で活動できる人がいれば話は別だけどね

自分たちが学んだこと、気付きを新人に伝えずに個人の自学自習や気付きに委ねるっていう育成方法は、まさにこの基礎科学の確認を延々させるようなものです。
「正しいことがしっかり確認できたな!」って言われてもこちらとしては「だから何?」としか思いません。

人が経験から得た知識を最短で効率よく身に付けるという意味では読書をする意義と似た発想です
誰かが既に書籍にまとめてくれた内容をイチから自分で調べて書くようなものって言い換えたらもう少し伝わりやすくなるでしょうか。

自分で気付かないと意味がない?

OJTの正当化根拠として「ノウハウをただ教えるだけでは身につかない」、「自分で気付いて始めて身になる」って意見が出ると思います。
しかしこれは本当でしょうか?

確かにスマホの便利機能やExcelの関数など、片っ端に教えられても忘れてしまう人が多いと思います。
それは実際に使用するシーンや必要性についてイメージが出来ないからです。

学校で習ったパソコン操作なんてSUMとaverageを覚えてるくらいが関の山だよね

だから普段使ってる中で必要に応じて調べて覚えていくという流れが一般的だと思います。
しかし逆に言えば、どういうシーンで知識やノウハウが役立つのか、必要性を踏まえて教えれば良いだけとも言えますよね。

結局は教える側の説明力不足のために、ノウハウが重要であることに実感を持たせられないだけなんじゃないかと思うわけです。
何となくそういう言い訳にOJTが使われているような気もしますね。

または自分たちと同じノウハウを持たれたら若い奴に同じラインに立たれてしまってメンツが立たなくなるって卑しい根性が邪魔してる可能性もあります。
徐々に時代は年功序列ではなくなってきています。

またデジタルや効率化など、努力!根性!でやってきた世代が通用する時代でもありません。
そういうことが得意な世代が最大限に力を発揮できるよう、サポートし、余計な学習に時間を割かなくて良いようにするのがこれからの上の世代の仕事ではないかと。
板前の修業じゃあるまいし、見て学べ!盗め!なんてことをいつまでもやってる組織は廃れていくとぼくは思います。

まとめ

最近の新人育成の主流になりつつあるOJTについての持論でした。
新人の頃から組織が積み上げてきたノウハウを継承できれば、さらにその知識・知恵を発展させられる可能性があります
なのに慣習、説明力不足、メンツ・プライドのためにそれを妨げるのは効率的じゃないよねってことです。

組織の思考回路に嵌って頭が堅くなってからでは改善や発展なんて発想は起こりにくくなります。
頭が堅くガンコになる前で吸収力のある若い内に知識を与えることがやっぱ大事だと思うのです。

因みに似たようなことをホリエモンさんが寿司職人の下積み修行について言ってましたね。
すぐ伝えれば済むものを簡単には伝えないことでそのポジションのブランド力を守るって思考もあるのかなって。
伝統的な職人ならまだしも、ただの民間企業のサラリーマンにそんなニーズは無いですけどね。
あるのはブランドではなく、何の生産性もないプライドだけです。

てなとこで。